ごあいさつ

私、古賀賢治は、原爆投下後8年後に被曝県「長崎」に生まれました。幼いときから自分自身に、戦争の意味・被曝の意味を問うてきました。1990年初頭にグロリアに出会ったことから、平和に関する自作のアート作品の意味を理解するようになった気がします。つまり国連との出会いでした。忘れもしない30年前の1993年4月、パークアベニューサウスにある「ART DIRECTORS CLUB GALLERY」での展覧会をご覧になった国連関係者による「国連永久保存」の決定です。その背景にはブトロス・ガリ国連事務総長の平和への希求、そして国連郵便管理局長のトニー・フォーエイカー氏のご尽力の賜物でした。私はこの時の、国連トップの方々のわたしに対するアクションに、共に平和を希求するパートナーシップが生まれた事を肌で実感しました。それが私のアート作品「Symbol of Peace」の国連に於ける「永久保存」、さらに20世紀最後の10年(1991年~2000年)の国連テーマ「自然災害を軽減する10年」における国連記念切手のアーティストとして私を推奨し、ジュネーブ・ウィーン・ニューヨークの国連郵便管理局から数百万セットという切手が発行されたということでした。私は意思を持てば世界平和も夢ではないと、いつしか思うようになりました。そしていつかは「完全な平和」を望むようになりました。世界の悲劇を見守るだけでは我慢できません。アートを通して参加することは、平和な何かが訪れることを、ただ待つのが嫌だという表明でもあります。戦争と飢餓を終わらせ、憎悪や抑圧の原因をこの地球から消し去る日まで。

一般財団法人日米アースアクセス委員会 理事長 古賀 賢治