EACについて

創設者の宣言

私、古賀賢治は、原爆投下から8年後の被曝県・長崎に生まれました。

幼い頃から、戦争とは何か、被曝とは何かを自分自身に問い続けてきました。

1990年代初頭、グローリア・スター・キンスとの出会いをきっかけに、 自作のアートが持つ「平和」という意味を、国連という場で深く理解するようになります。1993年、ニューヨークのアートディレクターズ・クラブ・ギャラリーでの展示を通じ、私の作品「Symbol of Peace」は国連に永久保存されることとなりました。この出来事を通して、私は国連の人々と共に平和を希求するパートナーシップが生まれたことを実感しました。その後、国連の公式記念切手のアーティストとして推薦され、世界中に数百万セットの切手が発行されました。

私は、意思を持てば世界平和は夢ではないと信じるようになりました。世界の悲劇をただ見守るだけでは、もう耐えられません。アートを通して参加することは、平和を待つのではなく、問い続けるという私自身の意思表示です。戦争と飢餓が終わり、憎悪や抑圧の原因がこの地球から消え去る日まで。

古賀賢治

UNHCR

EACの成り立ち

< 難民支援と文化的連帯のはじまり >

日米アースアクセス委員会(EAC)の活動は、難民支援への強い敬意と連帯の意思から始まりました。私たちが難民救済活動に関わるきっかけとなったのは、緒方貞子女史の存在です。

緒方女史は1976年、日本人女性として初めて国連公使に就任し、特命全権大使、国連人権委員会日本政府代表を歴任しました。1991年には第8代国連難民高等弁務官に就任し、世界各地の難民問題に最前線で向き合いました。その姿勢と行動は、国籍や立場を超えて多くの人々に影響を与え、国際社会における難民支援のあり方を大きく方向づけるものでした。

1990年代初頭、グローリア・スター・キンスとアーティスト古賀賢治は、緒方貞子女史を支援する応援団体として、NGO 日米アースアクセス委員会(USA–Japan Earth Access Committee/EAC)をニューヨークにて立ち上げました。設立の場となったのは、ニューヨークにあるグローリア・キンスの私邸でした。

EACは設立当初から、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への継続的な支援を活動の柱の一つとしてきました。古賀賢治のアート作品をはじめ、本プロジェクトに参加するアーティストの作品の一部収益は、UNHCRへの寄付として活用されています。

EACの成り立ちは、組織の拡大や事業化を目的としたものではありません。

文化と表現を通じて国際社会の課題と向き合い、支援の意思を具体的な行動へとつなげるための枠組みとして形成されてきました。

難民問題という現実に向き合いながら、EACはアートと文化の力によって、人と人、社会と社会を結び直す試みを続けています。

UNHCR