ピースアートを広める理由
< 傍観から、参加へ >
世界では、戦争・難民・飢餓・災害といった出来事が日常的に起きています。 私たちはそれらを知ることはできますが、「知ること」と「関わること」の間には、常に距離があります。EACが問い続けてきたのは、人はどのようにすれば、傍観者であることを超えられるのかということでした。EACがアートを選ぶのは、人が傍観者であることを超え、静かに参加するための入口をつくるためです。
世界では、戦争・難民・飢餓・災害といった出来事が日常的に起きています。 私たちはそれらを知ることはできますが、「知ること」と「関わること」の間には、常に距離があります。EACが問い続けてきたのは、人はどのようにすれば、傍観者であることを超えられるのかということでした。EACがアートを選ぶのは、人が傍観者であることを超え、静かに参加するための入口をつくるためです。
アートは正解を示すものではありません。正解を示したり、誰かを説得したりするためのものでもありません。アートは、問いを残すための行為です。 結論を急がず、立場を固定せず、見る人それぞれが、自分自身の経験や感情を重ねる余地を残す。その余白こそが、対話が生まれる入口になると、EACは考えています。
社会的な問題は、言葉にされた瞬間に、意見や立場として分断されやすくなります。しかしその前には、怒り、悲しみ、違和感、ためらいといった 言葉になる前の感情が存在しています。ピースアートは、その段階の感情を誰かに押し付けることなく、共有可能にする手段です。それは説得ではなく、共鳴であり、対立ではなく、接続です。
EACは、ピースアートを完成品として扱いません。アートは人と人、人と社会の間に問いを生み出す装置です。アートは、強制せず、排除せず、結論を奪いません。だからこそ、最も静かで、最も開かれた参加の方法となります。政治的な主張、宗教的な救済、経済的な解決。それらは確かに強い力を持っています。EACは、平和を希求する強い思いと、問いを共有し続ける場でありたいと考えています。